NOTE

Seek sustainable life with the nature

エルコラーノ遺跡を全力で推したい

 

 

f:id:koakI:20181002002822j:image

 

ナポリ3日目〜

今日はあいにくの雨。正直、6月末にノルウェーを出て旅を始めてから、傘をさすことって1.2回しかなかった気がする。朝晩や移動中に雨が降ることはあったけど何処に行っても晴れてたよーな。うーん、雨の秋がやってきましたねえ

 

昨日のモヤモヤもあって、今日は雨だし1日家に引きこもろうと思っていた。無理して観光しなくても、映画でも観て、ごろごろするのもありだなって。

 

でも朝、同じ宿に泊まってるマダムが、遺跡に行くならエルコラーノがお勧めよ!って。ポンペイほど大きくないから、雨の中歩くならエルコラーノの方がいいと思うって教えてくれたの。

 

ふうむ…外は曇り、若干晴れ間もさしている。これも何かの縁だ、エルコラーノだけ行ってみることに。

 

いやー、行って良かった!大満足!!

 

エルコラーノは79年に起きたベスビオ火山の噴火によって埋もれた街。ガスと溶岩が押し寄せてきて、避難していた人々は即死。石造りの街は溶岩に囲まれて、1709年に偶然発見されるまで、地面の下でずっと眠りについていた。世界遺産に登録されている街だよ。

 

f:id:koakI:20181001231635j:image

 

この大きな橋を渡った先に遺跡が広がる。ここが現世との境界線みたいでわくわくした。

f:id:koakI:20181001231804j:image
f:id:koakI:20181001231811j:image

至る所にあるバー。このテーブルの中に埋め込まれた甕の中にワインをいれて、売っていたんだって。小さい敷地の中に、いっぱいあったw どれだけローマ人はワインが好きだったんだ。しかしながら一つ納得いかないのが、このバーを利用出来るのは男性のみ。今の時代に生まれて良かった…

 

f:id:koakI:20181001232014j:image

民家の一部。階段が続いてる。奥の壁に見える穴わかる?かつてはあそこに木が差し込んであって、それが2階の床を支えていた。けれども、溶岩流で木は炭になり崩れてしまったから、今はぽっかりと穴が残るのみ。

 

f:id:koakI:20181001232313j:image

これとてもわかりやすいと思う。いくつかの穴にはまっくろな炭と化した木が残っていて、2階の床部分も残ってる。

 

f:id:koakI:20181001233607j:image

街の中央を横切るこの道。私は水路じゃないかと思ったよ。道の途中に民家からの排水口っぽいものがあったから。海に近い街だし、ローマといえば水路だからね。ここからきっと海まで水が流れてたんだろう。たぶんね。ガイドツアーに参加しなかったから、自分で考えて想像してた笑

 

f:id:koakI:20181001233907j:image
f:id:koakI:20181001233836j:image
f:id:koakI:20181001233846j:image

めちゃくちゃ感動したこの飾り。四角いタイルみたいな石を並べて模様を作ってるんだけど…細かいところまで良くできてた!

 

考えてもみてほしい。1939年前の、89年といえば、日本は弥生時代。竪穴式住居に住んで、それなりの装飾品は作っていたものの、こんなにカラフルな装飾品は見たことがない。日本とローマのこの技術の決定的な差にびっくりした。2000年も前の人々が、既にここまでの建築技術をもって二階建て住居や神殿、浴場まで建設していて、世帯単位でなく街単位で経済が動いて、パン屋やパブなど職を分担して暮らしていたんだよ。そして浴場やコロッセオ、バーなんかの娯楽も充実していた。すごすぎる。

 

この遺跡は、ポンペイよりも保存状態がとてもいい。壁に描かれたフレスコ画だって見れる。

f:id:koakI:20181001234530j:image
f:id:koakI:20181001234539j:image

それだけに、2000年前の街だっていわれても、なかなか信じがたいものがある。そして文明は繰り返すんだなと思った。いや、人間の生活の基本は変わらないんだなって感じかなあ…

 

2000年前と、今と、基本的な生活スタイルは変わっていない。役割を分担して、人々と関わり合いながら生きている。まあ街が大きくなっちゃったから、人同士の関わり合いや役割の分担も、薄く大きなものになっちゃったわけだけど。2000年前にここで暮らしていた人たちは、今の社会をみてどう思うんだろうなと考えたよ。

 

当時の人々の暮らしを私は知らないから、勝手な妄想だけど、彼らは豊かな暮らしを送っていたと思う。心的に。家の床や壁なんかのディテールをこだわって、住みよい空間を作っていた。浴場やバーなんかの、人と関わりあう娯楽の場を持っていた。コミュニティに必要な最低限のものを持っていて、かつお洒落にもこだわっていたことが何よりもすごい。

 

f:id:koakI:20181001235058j:image

床。
f:id:koakI:20181001235108j:image

壁。

ふつうにレンガ積み上げたり、地面を石で埋めるだけじゃないんだよ!信じられる?2000年前の人がだよ。

 

というか、昔だからって、なんでお洒落じゃないって決めつけてたんだろう?彼らはいろんな色や素材の石があることを知っていた。絵画に使う絵の具も色んな色を植物や土から作り出していた。身の回りにある自然をうまく利用して、生活に彩りを加えていた。それがすごい。

 

私は、どうやって絵の具が作られてるのか全く知らない。赤色を作る原料がなんなのかも。黄色はどうやって作っているのかも。身の回りに完成されたものが多すぎて、当たり前に使っているんだけど、その過程を知らないものが多すぎる。

 

自分たちは過去に比べて沢山のものを持っているけど、本当に必要なものは持っていない気がする。うまく周りにあるものを生かせていないから、持っているのに足りない気がしてしまうのかな。

 

f:id:koakI:20181001235623j:image
f:id:koakI:20181001235637j:image
f:id:koakI:20181001235631j:image

テルマエ!これをみると、阿部寛を思い出す。テルマエロマエ大好きだった。

古代ローマ人にとって、最大の憩いの場はこのテルマエだったんだと思う。なぜなら、テルマエにはめちゃくちゃ椅子があるから!笑 浴槽の部屋の手前の部屋にも沢山腰掛ける場所があった。そしてさらにその外の空間にも3面の壁すべてに椅子が備えられていた。

f:id:koakI:20181001235740j:image

わかる?腰掛けるところがあるよ。バーはとっても狭くって、壁に椅子はなかったし、私が想像するようなテーブルと椅子が置けそうなスペースもなかった。おそらく立ち飲みかな?

 

だから腰を落ち着けてしっかり話しましょう寛ぎましょうっていう空間は、私が見た限りここだけ。ローマ人はただ風呂場というだけじゃなくて、人との交流の場として、テルマエを愛していたんじゃないかな。裸の付き合いだね!

 

そして最後に…

f:id:koakI:20181002001647j:image

この中央右部分にある池というか、お堀みたいなの分かるかなあ?当時はここまで海面があったらしい。お堀にかかる橋の左側に、当時船の倉庫があったの。今、そこに船はなくて、あるのは人骨の山。

 

これは本当にビビった。何があるのかなーと思ったら、人骨。しかも本物。そう、噴火当時にここに避難してきた人々の骨。

 

5つぐらい倉庫があって、その全てに人骨はあった。それがね…わたしにはみんな眠ってるように見えたの。怖がってるように見えなかった。まさか溶岩がくるとは思わずに、横になってやり過ごそうとしてたら、一瞬で死んでしまったように見えたの。伝わるかな。怖がってたらもっと座ってる人が多そうなものだけど、本当にみんな横たわって寝てる感じ。もしくは溶岩におされて横たわったのか…?私には分からないけど。

 

ひとつ言いたいのは、私はこの人骨を公開すべきでないと思う。レプリカならいいよ。でも本物なら、お墓にいれて眠らせてあげるべきじゃないかな…ただでさえ非業の死を遂げた人々なのに、今もなおその場に置かれて、観光客の目に晒されて、あまつさえ写真まで撮られてる。ちゅーかみんなよく写真撮るよね…人の骨だぜ?合掌して、心の中で南無阿弥陀唱えました。

 

今回はガイドを頼まずに一人で回ったから、あれこれと自分で考えながら歩くのが楽しかった。勘違いも沢山あるだろうけど、たまには自分の頭を使うのも良い!情報ならネットで手に入るしね。たまにガイドさんの話盗み聞きしては、やっぱガイド頼むべきだったなと思う事もあったけどw 時間とお金に余裕がある人は、ぜひガイドツアーをお勧めします!笑

 

エルコラーノ遺跡へのアクセスは、ベスビオ周遊鉄道ソレント行きに乗って20分。下車駅は、エルコラーノスカヴィ。電車に乗ると、車内アナウンスは流れないけど、次の停車駅の名前が電光板に出るよ。出ない時もあるよw あと各停や急行の違いなのか分からないけど、たまに電車が止まらないから気をつけてねw 切符はガリバルディ駅で往復買っておいた方がいいかも。エルコラーノ駅の窓口は私が行った時はしまっていた。券売機あったかどうか見忘れたw

 

駅から出たらひたすら左へ歩きます。海が見えます。遺跡の入り口は、道の突き当たりにあるよ。

f:id:koakI:20181002000551j:image

 

ポンペイの方が有名だから、私もポンペイにいこうと思っていた。でもエルコラーノで良かったと思う。小さいとはいえ全ての遺跡をじっくりまわっていたら、3時間はかかったからね。(私は特にのろくて、その上2周ぐらいするから、ふつうに見る分には2時間ぐらいかも)

 

写真を撮ってるとついつい自分の目で見るのを忘れちゃうんだよね。だから私は2周する。2周目はカメラは封印して、自分の目で見て、しっかり呼吸したりにおいを嗅ぎながら歩くようにしてる。

 

というのも、今時、Googleマップやブログで遺跡の写真はいやってほど見られる。それに穴があくほど見つめても、景色全部を覚えるのは到底不可能。

 

だから私は見ることも覚えることも大事だけど、何より五感を使ってその場所を感じて覚えるようにしてる。海から流れてくる潮風に磯臭さを感じて、あーこの風は2000年前と変わらないんだなって思う。ここにあった生活感が、より濃く感じられるんだよね!

 

無理なく歩ける規模だから疲れないし、見やすい。ポンペイもいいけど、遺跡を真近で肌で感じたいならエルコラーノかも。フォロ・ロマーノで思ったんだけど、風化しすぎてると、元の街の形を想像するのも限界があるんだよね。その点エルコラーノは、街がしっかり残ってるから、本当にタイムスリップして歩いてる気になるよ。本当にお勧め!

 

さーて、これでナポリ観光はおしまーい!卵城とか観光スポット全然行ってないけどw ピザ食べれたし、遺跡も行けたから満足!今回1人部屋にして良かったわ。部屋で過ごす時間が多いから、他の人に気を遣わなくていいのがめちゃくちゃ楽!やっぱたまには個室がいいわねえ〜旅も残り3ヶ月きった。物価高い国もイタリアで最後、そして明日の夜私はイタリアを去る。

 

感慨深いなあ…3ヶ月の西欧の旅、楽しかったなあ。

 

やっば!外、雷なりだした!しかもでかい!早めに家帰ってきて良かった…こえー…