3月11日
8年目の3月11日。
3.11は色んな人にとっての転機だったと思う。
良くも悪くも、生は突然終わる事を、日本人が思い出した日。
その後私はかねてからの夢だったカナダワーホリに向けて動き出す。海外ではよく震災の事を聞かれたけど、自分の国のことなのに、感情論以外にあまり詳しい事は話せなかった。
それは恥ずかしながら今も変わらない。
原発の現状が分からない。
どれだけ復興が進んでるのかもわからない。
調べるのが大変だからやらない。
何故か。震災が自分ごとじゃないんです。
だけど、今年、友人がシェアしてくれた"被ばく牛と生きる"というドキュメンタリー映画を観た。
私が自分のFBで書いた内容は以下の通り。
今日しか観れない、福島で被ばく牛と生きる畜産家たちのドキュメンタリー映画。精神力がごりごり削られるけど、これが現実だから、避けるわけにはいかないやつ!
原発がなければ、自然災害だけなら、復興できたかもしれないよね…。
もうネットで観れないので内容を追記すると…
福島原発から20キロ以内の放射能が高い地域に残り、被ばくして出荷も繁殖も出来ない牛をただ飼い続ける畜産家たち。中でも大きい希望の牧場は、避難生活で育てられない畜産家たちから牛を100頭以上も預かり、ずっと自分も放射能を浴びながら育て続けている。国は飼い続ける事に反対で殺処分を勧めていて、牛を飼い続けける彼らに対する保障は何もない。肉として出荷出来ないのだから、畜産家には当然収入はないが、それでも被ばくしたからという理由で安楽死はさせられない。そうでなくても過半数以上の家畜たちが餓死をした。ペットは一緒に避難出来ても、家畜たちは許されない。
牧場には多くのボランティアの姿もあった。その中には獣医も。牛という大型被ばく動物はこれまでになく、その経過を観察するとともに、牛の健康管理のために復興基金を大学で集めて手伝いをしている。本来なら国が研究をすすめるべきだけど、これにも一切関与がない。(くさいものには蓋をしたいらしい) 起こってしまった事を生かすために、獣医たちもまた無償で牛の命を守りながら研究を続けているが、出来ることは限られている。
酪農を泣く泣くやめるしかなかった人もいる。30年以上牛と生きてきたのに、今では仮設住宅で朝起きて散歩して本を読む日々。
畜産家の中には、東京で演説を繰り返す人もいる。最初は街を車で走りながら、拡声器で福島の現状を伝えていた。そしてとうとう、被ばくして異変の現れ始めた牛を、本来なら福島から出してはいけないのに、東京に連れてきてしまった。福島の現実を人々に知ってもらいたくて。そして環境省のお役人に向かって、その悔しさと怒りをぶつけていた。
という感じ。ニュースでは流れない福島のリアル。お肉や牛乳を作っていた人たちが被災し、お金にならないからと牛たちを殺すことも出来ず、限界がくる日まで福島で生きている。とてもつらい現実だけど、ぜひとも今回観られなかった人は劇場で観てみてください。
希望のある未来を国が作ってくれないなら、自分たちで助け合っていかないといけない、原発事故の負担を畜産家たちにだけ背負わせたらいけないと思ったりもした。
以上です。
この映画を観て、わたしにも当事者意識が生まれたわけです。消費者として。
今まで生産者消費者の関係を考えてきたから、今こうして感じる事ができると思う。きっと3年前あたりだったら、このドキュメンタリーを観てもわたしに当事者意識は生まれなかったんじゃないかと。
ニュースでは、家族を亡くしてしまった方々のストーリーが流れる。勿論、犠牲を忘れてはいけない。でもその誰かのストーリーや写真を流すばかりで、逆にそれが、他人事であり映画の中の出来事っていうような印象を与えたんじゃないかとも思っちゃったんだよ。
そんな中で、このドキュメンタリーでは、絶望の中で生き続けてる人がいる事を知った。
彼らはまだ8年経っても、大変な日々の中で暮らしてる。
私はこの8年、3.11によって自分の人生悔いを残さないように、好きな事をいーっぱいやってきた。
だけど3.11をきっかけに人生ががらっと変わって、今までよりもっと苦しい人生を生きてる人も沢山いる事を今さら知った。
この不平等さはなんなんだろう。
以前は田舎に第2の家でも激安で借りて、ノルウェー人みたいに週末別荘でのんびりしよーなんて考えてたんだけど…
休みの日は東北旅行やボランティアをしようと思ったよ。
高橋さんも言っている関係人口。
東北に通って、そこが第2の故郷になって…みんながハッピーになれたらいいよね!
最近はドキュメンタリー映画の深みや、面白さにだんだん気付いてきた。もっといっぱい観に行こう。
希望ある未来のために、私に出来ることで更にやりたい事を、無理なくやっていくぞ!
人と自然の共生のために!