言葉が見つからないミャンマーの暮らし
1週間、ミャンマー旅行をしてきた。
実は全く行く予定のなかったミャンマー。
なぜ行く事にしたのかというと、ブダペストで知り合ったベテランの旅人が、アジアでお勧めなのはミャンマーだって言っていたから。自然もたくさん残ってるし、面白いって。だから行く事にした。
でもいざアジアに来て、バンコクの喧騒に打ちのめされた私は一度はミャンマー行きを断念した。
インターネットで調べると、タクシー強盗が多いとか、野犬が多いとか、色々怖いことが書いてあった。タクシー以外に交通手段がないから、いちいちタクシーに乗るたびにビビらなきゃならないなんて嫌だ。ぼったくりも嫌だ。値切り交渉しなきゃいけないなんて、なんて非効率的なのか。人をいちいち疑わなきゃいけない事にすごく疲れた。3週間タイには滞在したけど、一度もタクシーやトゥクトゥク、ソンテウは使わずに歩いたぐらいw
だけど運良くバンコクの日本人宿で、ミャンマーに行くというお姉さんと、ミャンマーに行きたいという女子と出会った。結果、その女子と一緒に行く事になったから、1人じゃないならということで行く事にしたんだけどね。
余談。
バンコクの日本人宿はかなり辛かったw 話の合わない人たちが多くて。こう書くと高飛車と思われるだろうけど、なんか、自分旅人って思ってる若者が多いっていうか…観光だけして自慢げにしてる人が多いっていうか…話が薄っぺらい。良いこと言ってるんだけど、なぜか言葉に重みを感じられない。私がすげーなーと思う旅人は、自分を旅人って名乗らないし、落ち着いてしっかりと自分の言葉で伝える。あと相手の話をしっかり聞いてる。若い子たちはまだまだ自分の話を聞いて!って感じだから、私は聞き役に徹するには、まだダメみたい。私も聞いて欲しいタイプww 旅人からしたら、私もピーピーうるせえ小娘なのかな?w
ま、そういうところを受け止められないあたり、まだまだ私は子供なんだけどさ。タイって旅慣れてない学生が多い印象。リビングでみんなで集まってる時も、身内だけで盛り上がって、全然オープン感がない。あれはすごく日本人ぽい感じだった。
ブダペストの日本人宿が良かっただけに色んな出会いに期待してたけど、ここで日本人宿に懲りて、それ以来アジアでは日本人宿にはとまらない事にした笑
さて、ミャンマーね!ミャンマーでは、マンダレーとバガンにだけ行ってきた。マンダレー3泊、バガン3泊。
バガンがめちゃくちゃ良かった。
遺跡もすごく素敵だったけど、それ以上に、人々の暮らしを見てそう思った。
貧しすぎる。
マンダレーに到着した時も、露店やマーケットを見て、まだこんな形で生活しているのかと。良くも悪くも衝撃を受けた。
だけどバガンはそれ以上に、貧しかった。まず家が、高床式倉庫。
これに一番びっくりした。勿論、日本のようにしっかりした家もあったよ。でも少し歩くと、こんな家がずらっと並ぶ区画があって驚いた。外側から見た感じ、部屋は2つだけ。キッチンは屋外にあって、ガスコンロはなく、水瓶と火鉢のようなものが置いてある。家具もほとんど見られなかった。
それでも日中散策すると、沢山の人たちが思い思いに過ごしていて、活気が感じられた。子供達はみんなで集まって無邪気に遊んでる。笑顔で手を振ると、照れながら手を振り返してくれる。ミンガラーバーと挨拶すると、彼らも返してくれる。ほっこり。
観光客としてそんな一面だけ見ていたら、彼らはのんびりとした毎日を送っていて幸せそうに見えるかもしれない。
でも幸運な事に、私は宿の青年から沢山話を聞くことが出来た。
宿の青年は22歳。宿のスタッフの中で最年長て、マネージャーをしている。彼はこの宿で住み込みで働いているけど、部屋はない。なんと受付にあるソファで毎晩寝ている。清掃やお客さんの案内を受け持つ10代の子たちに至っては、その隣の床で毛布にくるまって寝ている。
私が驚いて、いつもここで寝てるのか?と聞くと、ミャンマーではこれが普通だと。彼らはどこでも寝れるらしい。朝食係の青年に至っては、屋上で寝ているという。いやいや、朝晩の冷え込み相当だよ!?
でもこういった貧しい家にはベッドは勿論、マットレスさえも見られなかった。そんなスペースはなかった。でも彼らにとって、それは普通の事。
仕事の話もしてくれた。彼は以前、チケットを売る仕事をインレー湖近くでしていたらしい。その頃は全然お金がなくて、ビニール袋に入ってる質素なご飯を、兄貴分の青年とシェアして、1日1食しか食べられなかったらしい。その後もかなり職を転々として、今のところに落ち着いたみたい。
これもまた衝撃だった。でもミャンマーでは仕事が見つけられないという話は、別のミャンマー人からも聞いた。知り合いのツテで紹介してもらい、私が行くときに案内してもらえないかと相談した。そうしたら最近職に就いたばかりで、半年ぐらいは休みを取れないから案内は難しいと言われた。休みは取れるものの希望休みを出せないという事なのか、ぶっ通しで働いているのかはわからないけど、そこまでして打ち込まなければいけないんだなってことは感じた。
若い子たちは親元を離れて、住み込みで働いてる。学校は…行ってないんじゃないかなと思う。すごく山奥から来ている子たちは、ミャンマー語を読めないらしい。学校が遠いから通えずに。
それでも彼らは、ものすごく素直で優しかった。大人はぼったくってくるから、たまに苛々したけど、子供達は純粋そのもの。
彼らには是非とも幸せになってほしい。
そして、更に青年はこう言っていた。
僕とあなたは同じ人間だけど、日本人とミャンマー人は、同じ人間ではないんだ。
私は正直今までヨーロッパを旅してきて、日本人であることを幸せに思った事は少なかった。だから日本に生まれた事は必ずしも幸せじゃないって思ってた。
でも今回彼からこういう話を聞いて、やはり日本は恵まれてるんだなと。私は自由も安全も未来も全部、最初から用意されていた。それだけでやっぱり幸せな事なんだと思った。
さて、ここでまた余談。
まだ彼に会う前。マンダレーの市内をタクシーで移動していた時、私と友人は、ミャンマーの人々について少し話した。その時彼女は「ミャンマーの人々は幸せですよ。彼らの生活を見て可哀想だなと思うのは、日本人としてみているから。彼らは彼らの生活に満足している、だってここしか彼らの知ってる世界はないから、日本とは比べようがない。もし日本にいったら、逆に彼らは不自由を感じるかもしれない」とそう、ほぼ断言した。
これがわたしには、衝撃だった。
彼らは幸せなんだろうか…という私の疑問を、彼女は私が日本人としてのモノサシではかってると思ったみたい。だけど、彼女は"彼女の価値観"のモノサシではかっていたように思う。何より恐ろしいのが、断言しているところね。自分のモノサシではかって、決めつけてしまった。それってすごくこわい事だと思う。
私は、いつも疑問にしてる。だって分からないから。疑問にして色んな意見や見え方を吸収してから、答えを出すように意識してる。だから青年の話を聞いて、やっぱり彼らにとってミャンマーの生活は厳しいもので、楽しい日々を送ってるかもしれないけど、日本人の方が良いと思っていた。果たしてこの言葉は彼女には、どう届いたんだろう…。
たまにブログで、30代にして世界旅行に行った人で、この歳になると価値観が変わらないと書く人がいる。それはその人が、自分の決めつけを事実だと思っているから。それから英語が話せないからだと私は思ってる。
今回みたいに英語で彼から話を聞けなければ、本当のところは聞けずに終わってしまう。私も、彼らはこれで幸せなんだろうと思ってたかもしれない。だから価値観が変わらなかった人たちは、価値観が変わるようなローカルの人々との出会いや、出来事がなかったんだろうと私は思うな。
価値観を変えるってのは、自分の考えを変える事じゃない。新しい情報を上書きして、何通りもの考え方ができるようになる事だと思う。
今日ふとそんな風に思ったよ。国ごと、人ごとに価値観てものは違うから、あなたはそんな風に考えるんですねって受け止める事。
だから価値観が変わらないって人は、そこまで深く関われてないんだよ。英語が喋れなくても通じ合うことはできる。でもその裏の考えや闇までは読み取れない。
だからやっぱり英語は出来る事に越したことはない。私だって最初から英語が喋れたわけじゃなくて、お金出して海外の語学学校で苦労しながら学んだからね。でもそれだけする価値は絶対にある。
でも価値観が合わない人もいるのよな。その人たちとは、話してても受け入れることが出来ないのは何故だろう。なんかすごく押し付けてくる感じがするのよね、そういう人たちって。自分の考えが正しい!って思ってる人が多いのかしら。そういう人こそ本質が分かってない。まあまだまだ迷って何かを探してる途中なんだろう。余裕がないとも言えるかな。
こう書くと偉そうに言いやがってと思う人もいるかな笑 私もちょいと前までは、自分なんでも見極めてる!って思ってたw でもノルウェー以来、色んな人たちに会って、すごい人たち面白い人たちに会って、いやー自分てまだまだ知識不足だし、経験も足りてないって自覚した。そこからやりたい事の形が定まって、今は割と迷いがない。だから自分の話をするよりも、聞いてその人を理解したり新しい考え方を吸収しようとするようになった。おかげさまで、その人の良いところも見つけて、なんとか嫌な部分はスルーしながら付き合えるようにもなってきた。
いやあ…ミャンマーは色んな意味で私を成長させてくれたな。また訪れたいな。それと同時に、ミャンマーの子供達を幸せにするお手伝いが出来ないかも考えていきたいな。